
イヌの橈尺骨骨折は最もよく見られる骨折と言っても過言ではありません。特に仔犬のときや肢の細い犬種(トイ犬種やサイトハウンド系)ではリスクが高いですね。
抱っこしてて落としてしまった、ソファから跳び下りて着地を失敗した、あるいは興奮して走り回っていただけ、なんてことでも骨折することもあるくらい骨が細いんです。
今回は不運な事故によって橈尺骨を骨折してしまった生後四ヶ月の豆柴ちゃんの二ヶ月に及ぶ治療を解説していきますので、同じ病気で悩まれている飼い主さんの参考になれば幸いです。
橈尺骨骨折について
「橈尺骨」とまとめて呼ぶことが多いですが、犬の前腕部には橈骨と尺骨という二本の骨が存在しています。簡単に言うと肘と手首を繋ぐ長い骨のことです。これは人間も同じですね。
犬の骨折の中で最も多い骨折箇所であり、また橈骨と尺骨が同時に折れることが多いために「橈尺骨骨折」とまとめて表現することが一般的なのです。
なぜこの部位が骨折しやすいのでしょうか?それは橈尺骨の中でも特に折れやすい手首側には非常に強い負担がかかるわりに、構造的に折れやすい形状であるという点が大きな理由の一つです。
とりわけトイ犬種と呼ばれるグループの犬はこの橈尺骨骨折が非常に多いことが知られています。あるデータでは橈尺骨骨折を起こした犬の半数近くがトイ・プードルだったとも言われています。次いでポメラニアン、イタリアン・グレーハウンド、チワワなどが多いそうです。実際に治療してきた私の体感でもそのような感じです。
日本での飼育頭数からしてもトイ・プードルが圧倒的一位なのは納得ですが、飼育頭数の少ないイタグレが上位に入ってくるのは驚異的です。データはありませんがおそらく犬種ごとの橈尺骨骨折発症率をランキングにするとイタグレが一位になるのではないかと思うほど、この犬種の前腕は折れやすいです。骨の細さや筋肉の少なさ、激しい運動を好む性格などが相まっての結果なのでしょう。ちなみに治療も非常に厄介です。
橈尺骨骨折の治療
骨折の治療は大きく分けると「外固定」と「内固定」に分けることができます。
外固定とはいわゆるギプス固定のことです。人間の骨折治療でもおなじみのヤツです。外固定のメリットは手術をしなくても実施可能なことですね。
一方で内固定とは骨に直接固定装置を取り付けるタイプの固定法です。例えばプレートやピン、スクリューなどが代表的な固定器具です。内固定を実施するためには手術が必要にはなるのですが、その分強力な固定力を得ることができます。
その他にも創外固定という治療法もあります。外固定や内固定が適用外のときに選択されることが多いですが、獣医師によっては好んで選択されることもあります。
骨折治療に決まりきった正解はないと言われていて、骨折部位や折れ方、犬種、年齢、その子の性格などを考慮して総合的にベストな治療法を選択する必要があります。あとは治療法によって治療費が変わってくることもあるので、飼い主さんの意向も尊重しなければいけません。
こと橈尺骨骨折に関しては多くの場合、内固定の一種であるプレート法が選択されます。先述した通り、犬の前腕には非常に強い負担がかかるため外固定だけでは癒合不全を起こす可能性が高いと言われています。橈骨だけ、あるいは尺骨だけが骨折している場合で骨がほとんどズレていない場合には選択肢に挙がってきますが、「安静にする」ということが難しい動物では治癒過程で骨がズレることが非常に多いためあまり外固定は選択されないのが現状です。
外固定で治療していたが上手くいかず肢が曲がったままになってしまった、という犬を何頭も見てきましたがその状態からの治療は困難を極めます。骨折治療は最初の数日がとても重要で、受傷直後は骨がズレないように添え木を当てて固定し、数日以内に適切な手術を受けることができればほとんどのケースが問題なく治癒します。
もちろんプレート法にもメリットとデメリットがあって、適切な手術や管理がなされなければ癒合不全に繋がる可能性もあります。最大のメリットは強い固定力です。そして歩行ができるまでの期間も短くて、およそ二週間程度で以前のように歩けるようになることが多いですね。
しかし固定力が強いということはデメリットになることもあります。強すぎる固定力は骨にかかる負荷を軽減させ過ぎてしまうために、骨が痩せてしまって再骨折に繋がることもあるのです。そのため、成犬では骨折が治ってもプレートは除去せずに骨の支えにし続けた方が再骨折を防げるというデータも出ています。
実際の治療例
さて、今回紹介するのはまだ生後四ヶ月の豆柴の男の子です。とても活発で元気いっぱいなのですが、その活発さが裏目に出てしまいソファからジャンプして着地した際に右前肢の橈尺骨をキレイに骨折してしまいました。
「え、そんなことぐらいで折れるの?」と思う方もいるかもしれませんが、仔犬のときにただ着地に失敗しただけで骨折するというケースは意外と多かったりします。仔犬の骨は細い上にやわらかいのでちょっとしたことで折れるんですよね。
骨折から応急処置まで
幸いなことに骨折してからすぐに飼い主さんが連れてきてくれたので、骨がズレていない状態で応急処置をすることができました。レントゲンで骨折を確認し、真っ直ぐな状態をキープするように添え木を当てて包帯で固定します。
骨折治療はとにかく早期に治療を始めることが重要です。もしこの状態で数日様子見していたとしたら、前肢は痛みで着くことができませんから宙に浮かせてプラプラした状態になります。そうすると確実に骨がズレてきて、その状態で筋肉が拘縮してくると整復が困難になるのです。
もし橈尺骨骨折した場合にはまずは仮固定をして、できるだけ早期に手術するか、本格的なギプス固定をするかの処置をしなければなりません。
この子の場合は翌日に手術をすることとなりましたので、この日は軽く固定をして痛み止めを投与しました。
プレート法による手術
この豆柴くんは体重が1.5kgしかないため、骨もその分細くなります。骨折部位の骨幅は数ミリしかありませんので、非常に繊細な手術になります。
今回はプレート法を選択しました。橈尺骨骨折の治療の中では最も一般的なものですが、これだけ骨が細いと装着できるプレートは限られてきます。しかし現在は超小型犬用のプレートや固定用のスクリューも簡単に手に入るようになりましたので、十分に対応できる範囲です。
余談ですが一般的に骨折の手術というものは、それなりの費用を請求されることになります。手術法や病院によってもある程度差があるとは思いますが、橈尺骨のプレート法なら10万円以上はかかることが普通でしょう。その理由の一つは、手術に使用されるプレートやスクリューが非常に高価だからということです。
プレートはただの金属の板ではなく、スクリューはただのネジではありません。チタンやステンレス等の金属を緻密に形成した医療材料なのです。ほんの数ミリしかないプレートがそれなりの価格になるので、請求される手術費用もどうしても高額になってしまうのです。
今回のケースでは厚さ1.3ミリのプレートを4本のスクリューで固定しました。ちなみに固定するのは橈骨のみです。小型犬の場合は橈骨さえしっかり固定できれば尺骨は自然に癒合してくれます。そもそも今回のケースでは尺骨は細すぎて固定が困難です。
プレートを設置した後は丁寧に筋肉と皮膚を縫合して、包帯をしっかりと巻きます。手術時間は一時間程度でした。
一日だけ入院してもらって、翌日には元気そうに退院していきました。
その後の経過観察
手術から一週間後に再診に来てもらいました。本人はとても元気で、少しずつ足を着いて歩けるようになってきたそうです。
包帯を外して傷口を確認しましたが問題なさそうです。レントゲンを撮ったところ、さすがにまだ癒合はしていませんが骨折部位周辺に仮骨の形成が認められました。固定状態も良好です。仔犬は骨の治りが早いと言われていて、一般的には一ヶ月程度で完全な骨癒合に至るケースが多いです。
もう一週間後の再診時にはもう以前のように走り回れるようになっており、術創の抜糸をおこないました。プレート法のメリットの一つは歩行可能になるまでの期間が短いことです。早ければ一週間、だいたい二週間ぐらいでしっかり歩けるようになります。そしてしっかり患肢に負重して歩くということが骨に刺激を与え治癒を促進させるのです。ですのでリハビリとしてある程度運動させていくことは治療の一環として重要なのですが、さすがにこの子の場合は動きが激しすぎるのでヒヤヒヤしましたね。
その後は二週間ごとにレントゲンを撮って経過観察していきました。術後から六週間が経過した時点で完全な骨癒合が確認されたのでとりあえずは完治となります。
内固定で骨折を治療した後に悩むことは、固定装置をそのまま残し続けるかどうかという点です。いろいろなパターンがあるので一概には言えませんが、この子の場合はまだまだ成長期が残っていて、プレートを残したままだと骨の正常な成長を阻害する可能性があるためにプレートとスクリューを除去することになりました。また、除去する場合にも一度に全て除去せずに数本のスクリューだけを抜くことで徐々に骨への負荷を増やす方法もあるのですが、癒合の状態がかなり良好であったことから再骨折のリスクは少ないと判断し、一度の手術ですべての固定装置を除去し切りました。
手術時間は三十分程で問題なく終わりました。そしてプレート除去から二週間後、術創の抜糸とレントゲンで骨に問題がないことを確認して治療終了となりました。
まとめ
今回は仔犬における橈尺骨骨折のごく一般的な治療例を紹介させてもらいました。治療期間は約二ヶ月、治療費はトータルでおよそ三十万円になりました。骨折を含めて整形外科手術が必要となる疾患の治療はどうしても高額になってしまいます。幸いにもペット保険に加入されていたので、十万円ほどの負担で済んだようです。
骨折に関しては手術方法によっても治療費はある程度変わってきますので、担当の獣医さんとしっかり話し合ってベストな治療法を探していきましょう。
病院に連れて行っていきなり「骨折なのですぐに手術が必要です」と言われると、頭が真っ白になりますよね。だいたいの飼い主さんは骨折の場合だと「自分が悪かったのかな?」と自責の念に駆られて獣医師の提案することをすべて鵜呑みにしがちです。
ですが、わからないことはちゃんと質問して治療費についても相談することは正当な権利ですので、萎縮せずに何でも聞いてみてください。獣医師側もそういった話には慣れていますから、納得いくまで説明してくれるはずです。