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トリミング中の事故による死亡事件について。獣医師目線の感想。

こんにちは。今回は先日判決が下されたある事件についてお話しさせてもらいます。

この話はあるトイプードルがトリミングサロンでの施術中にハサミでのどを傷つける事故が起こってしまったことから始まるのですが、残念なことにこのワンちゃんはその後の治療の甲斐なく亡くなってしまったそうです。

すぐに病院には連れて行ってもらったそうですが、なんとその傷は食道を貫通していたそうで複数回の手術を実施して救命しようと手を尽くしてくださったようですが、力尽きてしまったとのことです。

詳しくは↓コチラの記事をご覧ください。

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その後、サロン側の説明に納得がいかなかった飼い主さんは訴訟を起こし、つい先日その判決が出たのです。

判決は「39万6000円の支払いを命じる」というもので、この判決が妥当なのかどうかということに関しては私がとやかく言うことではありませんので黙っておきます。飼い主さんの感情からすると「たったそれだけ?」となるのは理解できますし、現状の法制度では直接的な損害額しか補償できないことも納得できます。

私が解説したいことは①トリミング中に起こり得る事故のリスク、②その後の治療について、この二点です。

実際の現場で今回のような事故は起こり得るのか?治療は妥当だったのか?私自身も複数のトリミングサロンのかかりつけ獣医としても活動していますので、実際の例も挙げながら説明させてもらいます。

目次

トリミングとは

トリミングとは簡単に言うと「動物の散髪」みたいなものですね。

基本的には犬を対象にしているサロンが多いですが、一部のサロンでは猫やその他の動物の施術も受け付けています。

現在では専門のトリミングサロンでライセンスを持ったトリマーに施術してもらうことが一般的かもしれませんが、お家で飼い主さんがカットしていることもありますね。

被毛のカットに加えて、シャンプー&ドライ・爪切り・耳掃除なんかもセットで行うことが多いです。

トリミングは美容目的という印象が強いかもしれませんが、適切な被毛・皮膚・爪などのケアをすることは健康維持のためにもなりますので、自信のない飼い主さんはプロにお任せしてしまった方が安心ではありますね。

プロに依頼するメリットはたくさんありますが、やはり仕上がりの美しさは素人とプロでは段違いです。どのように動き出すか予想ができない動物のカットには特殊な技術が必要になりますし、それなりの設備も必要です。それゆえに見合った対価をお支払いするわけですね。

トリミング中にトリマーさんが何か異常を見つけると、それを飼い主さんに報告してくれることもメリットの一つです。動物病院を受診される方の中で、「トリミングで耳が赤いって言われて…」みたいなパターンはけっこう多いです。

特に多いのは外耳炎・皮膚炎・できもの関連ですね。優秀なトリマーさんは病気を早期に発見してくれて、しっかりと病院の受診をオススメしてくれるので飼い主さんからすると頼りになる存在です。

(稀に優秀すぎるトリマーさんは病気の「診断」や「治療」までしてしまうことがあるので、アドバイスを全て鵜呑みにするのは危ないこともあります)

一方で自宅でのカットやシャンプーも適切に実施できれば全く問題はありません。カットの仕上がりはどうしてもプロには劣るかもしれませんが、獣医師の立場からすると動物が快適に過ごすことができればそれで問題ないと思います。

要は時間や労力、クオリティを求めるのならトリミングサロンに依頼すればいいですし、自宅でパっと済ませたいならそれもアリということです。基本は自宅で済ませて、たまにトリミングに連れて行ってキレイに仕上げてもらうという方もいるようですね。

トリミングで起こり得る事故について

基本的にはメリットの大きいトリミングですが動物が相手ですので予想外のトラブルも起こり得ます。

トリミングで使うハサミはもちろん切れ味抜群ですので手元が狂えば動物を容易に傷つけることになるのです。

みなさんは美容院や理容室で髪を切ってもらったときに一回でも怪我してしまったことはありませんか?私だけかもしれませんが今までに何回かは誤って皮膚を少し傷付けられてしまったことがあります。(ちゃんと謝ってもらいましたのでもちろん怒っていません)

確実にじっとしておける人間でさえそういった事故(かすり傷程度ですが)はあり得るのですから、動物の場合そのリスクは比較になりません。いつどのような挙動をするのか予想が付きませんし、性格によってはトリマーを攻撃してくることさえありますからね。

私の経験した例をいくつか挙げます。

  • バリカンによる皮膚の裂傷→消毒後に縫合
  • 伸びた被毛に埋もれて見えなかった狼爪の裂傷→皮一枚で繋がっている状態だったので根本から切除し縫合
  • 爪を深く切りすぎて止血剤だけでは出血が止まらなくなった→あまりにも興奮していたため鎮静剤を投与し電気メスで止血
  • ハサミで舌を裂傷→麻酔下での縫合
  • 暴れて抱っこから落下し骨折→手術にてプレート固定、全治三ヶ月
  • シャンプーのすすぎ残しが原因と思われる化膿性湿疹→ステロイド・抗生物質の投与により治療
  • 心疾患の治療中の犬が施術中に興奮し失神→救急搬送され酸素吸入などによって回復

これらは一例に過ぎませんが、こうしたトラブルは定期的に見られます。さすがに骨折なんかはまず起こりえませんし、不注意だったと言わざるを得ないですけどね。

もちろんトリミングサロン側もトラブルを未然に防ぐために対策は講じますし、しっかりとした訓練を受けた人間が施術をしているからこそ大事に至ることはあまりないのですが、どれだけ気を付けていても100%事故を防ぐことは現実的ではないのです。

本件の事故について

さて、以上を踏まえた上で本件の事故について触れていきますが、一言で言うと「ハサミがノドに刺さって食道を貫通してしまった」という事故は見たことも聞いたこともありません。普通に考えると到底起こり得ないような出来事です。

いかにトリミング用のハサミが切れ味鋭いとは言っても皮膚だけでなく食道まで貫通してしまうのは、相当な力が作用しないと難しいでしょう。食道にまで達するためには筋肉や気管も損傷しながら貫通したと考えるのが妥当です。

記事の内容から推測すると、犬が突然しゃがみ込むような挙動をしたところに意図せずハサミの切っ先が刺さってしまったのでしょうが、犬の挙動とハサミの角度と切れ味が不幸にも噛み合ってしまった結果なのだと考えられます。

このトリマーさんは怪我をさせてしまったことに気付いた後すぐに近くの動物病院に連れて行ったそうです。しかし、怪我の程度を把握していなかったそうで当初は軽く皮膚を抉ってしまったぐらいに考えていたようですね。

病院が混んでいたので診察を待っている間にトリミングを再開したそうですが患部からの出血が止まらず(食道まで貫通しているなら当然ですが)、病院で緊急処置をしてもらったそうです。

その後の対処・治療について

実際に治療にあたった獣医さんがどのような治療をして、何を思ったのかは想像するしかありません。

記事の情報によると傷付いた食道を治すために三回の手術を実施したそうですが、事故発生からおよそ10日で亡くなってしまったそうです。

まず、このような状況で搬送されてきたとしたら(頸部に大きな傷があり、出血が止まらない状況)、頸部の大きな血管を損傷したのかなと推測するでしょう。

頸部には頸動脈・静脈などの主要血管や神経、気管、食道などの生命維持に必要な臓器も複数存在します。首は急所ってよく言われますよね。

仮にこの頸動脈などを損傷して出血が続いているのだとしたら、圧迫止血だけでは対処できない可能性が高いです。手術に踏み切る前に出血が止まったのかそうではないのかわかりませんが、傷の深さも考慮して外科手術に踏み切ったのでしょう。

記事でも少し触れられていますが、手術前には食道まで損傷していることは判明しておらず、損傷を深部まで確認していくうちに食道を横断するように貫通していることがわかったそうです。確かに外からの視診だけでは損傷の深部までは確認できないでしょうし、まさか食道にまで達しているとは普通は考えないでしょう。

レントゲン検査だけではおそらく判然としないでしょうし、CTを撮ればある程度わかるかもしれませんが、動物病院でCT撮影までできる施設はまだまだ少数です。緊急的に手術になったのであればそもそもCTを撮る余裕もないでしょうし、術前に損傷の全貌まで把握できなかったことは致し方ないでしょう。

手術の詳細についても情報がありませんので想像するしかありませんが、基本的には食道が損傷しているのであれば損傷箇所をキレイにして縫合し、可能な限り元の状態に復元するという方針になるでしょう。損傷の状態によっては食道の再建を諦めて胃瘻チューブの設置を考える必要もあるかもしれません。しかし実際には三回の再手術が必要となり結果的に命を落としたわけですから、上手くいかない何らかのイレギュラーがあったのでしょう。

例えば術後に縫い合わせた食道が裂開した、再出血した、食道が狭窄し食べ物を飲み込めない、他の臓器への損傷が悪影響を及ぼした、感染が広がり敗血症になった等、悪い可能性はいくらでも考えられます。

食道の外科手術について

基本的に獣医師は手術というモノに慣れていることが多いです。

去勢・避妊手術は獣医師にとって避けては通れない医療行為の一つです。一般的な病院に勤めていればほとんど毎日のように執刀する機会があると思います。

動物病院はまだ人医療のように診療科目が細分化されていないので、それぞれの病院が皮膚科や眼科、泌尿器科、精神科だって全部やらないといけません。もちろん手術もです。最近は獣医療でも専門科が誕生しつつありますが、まだまだ少数です。

そんな手術に慣れている獣医師であっても、食道の外科手術を経験したことのある人間はかなり少数だと思います。私も数えるほどしか経験したことはありません。

そもそも食道に関しては外科手術が必要になるケースがかなり少ないこと、食道までのアプローチがやや難しいこと、組織学的な特性から術後合併症が多いことなどから多くの獣医師にとって経験値が少なく難易度の高い手術となるのです。

手術が必要になるケースとしては主に異物誤飲による閉塞と腫瘍摘出があります。今は内視鏡の普及率も上がってきていますので異物が詰まってしまったとしても手術をせずに摘出できることが増えましたが、それでもごく稀に内視鏡では引っ張り出せないほどにガッチリ詰まってしまうことがあります。そんなときには手術による摘出を選択せざるを得ません。

腫瘍に関しても組織検査くらいなら内視鏡で対応できますが、完全摘出を目的とする場合には手術になってしまいます。ただ、食道癌は人医療ではわりとよく見られる疾患のようですが、獣医領域では非常に稀な疾患の一つです。経験したことのない獣医師も多いでしょう。

食道へのアプローチについては、頚部食道の場合は気管や筋肉、大きな血管や神経を避けながらその奥にある食道に到達する必要がありますので非常に繊細な技術が必要となりますし、胸部食道にいたっては開胸しなければなりませんので当然大掛かりな手術になります。いずれにせよ難易度は高くなります。

胃や小腸などの腹部消化管の手術をしたことのある人間ならわかると思いますが、消化管はフニャフニャなように見えて意外と丈夫で、切ったり縫ったりしても血流がしっかり温存できていればまず裂けたりすることはありません。しかし食道は唾を飲み込むだけでも張力がかかるので手術直後からストレスにさらされ、腹部消化管と違って漿膜が存在しないことから癒合遅延や術後裂開のリスクが高いとされます。より高度な技術が要求されるのです。

一昔前までは食道を切ってしまうと癒合しないので、食道の手術自体が禁忌とされていた時代もあったそうです。

これらの前提に加えて、本件ではおそらく誰も経験したこともないような特殊な損傷だったことや術前計画が十分に立てられなかったという悪条件が重なり、非常に難易度の高い手術となったのではないかと推察します。

最後に

今やトリミングサロンを町中で見かけることも普通になってきました。一昔前まではお店でお金を払って動物のお手入れをしてもらうという発想すらなかったように思います。

私の知る限り多くのサロンが予約がなかなか取りづらい状況になっているようです。増え続ける需要に供給が追いついてないのです。

トリマーさんは毎日いっぱいの予約を捌いていくだけで精一杯なのだと思います。トリミングという仕事は肉体的にかなり疲れるお仕事なのですが、少しでも手元が狂ってケガをさせてしまった日には飼い主さんによってはなかなかのクレームに発展することもありますので精神的な負担も相当なものになります。

つまり、動物が好きじゃないととても続けられる仕事ではないのです。みんな動物が好きだからこそ学校に通ってライセンスを取得して、プロのトリマーを目指そうという気持ちが芽生えるんですよね。

今回の事故を起こしてしまったトリマーさんだってその一人のはずです。安全対策やその後の対応に責められるべき点はあったかもしれませんが、こんな事故を起こしたくて起こしたわけではありません。

もちろん一番の被害者は不幸にも亡くなってしまったワンちゃんであり、そのご家族の皆さんであることは間違いありません。ですが加害者となってしまったトリマーさんにとってもまた大変不幸な事故となってしまったのです。

関係者全員が不幸になるような事故を二度と起こさないためにもトリミング業界の関係者の皆さんには、動物を殺傷し得る道具を扱っているという意識を改めて持っていただきたいです。万が一動物を傷つけてしまったときにはすぐに駆け込める動物病院を確保し、自分で判断せずに獣医師に相談してください。これはもちろん大多数のトリマーさんが現在でも実践していることではあります。

そしてトリミングを利用される飼い主さんにも伝えたいことがあります。トリミングにはどうしてもケガのリスクが付き物です。それは単純にトリマーの技術不足であるとか不注意という問題だけではなく、動物の性格やコンディション、トリマーとの相性なども関係してきます。

ですので、人間として信頼できるトリマーさんを見つけることが重要です。

個人的な意見ですが、「信頼できるトリマー」の条件は腕がいいことや経験豊富なこと、いつもお店が混んでいて予約が取れないことだけではないと思います。若くてまだまだこれからのトリマーさんでも信頼できる人間はたくさんいますよ。

わからないことはわからないと正直に言ってくれて、でも次に会うときまでには絶対勉強してきてくれて教えてくれる。できないことはできないと正直に言ってくれて、でも半年後には練習してできるようになったんですよと嬉しそうに話してくれる。日々勉強なのですからそれでもいいんじゃないかと思いますし、そんな人は何かトラブルがあっても正直に話してくれるんじゃないかと思います。

私ならそんなトリマーさんを信頼してみたくなっちゃいますね。

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